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あなたは自分のことを善人だと思いますか?そう思っている人はたくさんいますが、「善」の意味合いが様々です。神は、高潔な方であると、聖書に記されています。また十戒が神の高潔さの基準です。それでは、神のおきてに目を向けてみましょう。柔軟な良心を持って、下に記してあるおきてを守っているかどうか、自分に尋ねてみてください。
あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
(いつの時も神を何よりも一番に愛しているでしょうか?)
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
(自分に都合のいいように神を心に作り上げた経験はありませんか?)
あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
(今までに、神の聖なる御名を軽蔑の言葉として用いたことはありませんか?)
安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 — 安息日
あなたの父と母を敬え。
殺してはならない。
(神は憎しみを殺人と見なされます。)
姦淫してはならない。
(「だれでも情欲をいだいて女を見るものは、既に心の中で姦淫を犯したのです。」—マタイ5章27−28節。そして、これは婚前交渉も含みます。) — 劣情, 不倫
盗んではならない。
(今まで盗みをしたことはありませんか?−盗んだ物の価値は関係ありません。)
偽りの証言をしてはならない。
(一度でも嘘をついたことはありませんか?これらの質問にも正直に答えていますか?)
他人の物などをむやみに欲しがってはならない。
(今まで、他人の持ち物を妬んで、欲しがったことはありませんか?)
殺人者、強姦する者、盗む者、偽りを言う者、姦通する者はみな神にさばかれると、聖書に記されています。更に、神は私たちの言葉、また思いまでもさばかれます。さばきの日に、あなたは、神のおきてを破ったことに対して有罪か無罪、どちらの判決を受けるでしょうか?
情け深い神はあなたの罪を見逃してくれるだろうと思っているかもしれませんが、神が正当な方であられるからこそ、殺人者、強姦者、盗む者、偽りを言う者は、間違いなくさばきを受けることになるのです。もし、そういうことに目をつむってしまわれるのなら、神は、堕落した裁判官ということになってしまうでしょう。
十戒を破ったことはありませんか?
神のおきては完全である、と聖書に記されています。聖書は私たちに完全であることを命じられています。(マタイ5章48節)あなたは、(心、ことば、行ないにおいて)完全ですか?天国に行けるでしょうか?
それでも、あなたは自分が善人であると言い張るかもしれません。しかし、神はそうは言われません。(詩篇14章2−3節をご覧ください。)神は、偽りを言うことはできないと、聖書にあります。つまり、あなたがたの方が嘘をついていることになります。
実際に、「地獄」と呼ばれる場所は存在するのでしょうか?
地獄には、本当に燃える炎が存在するのでしょうか?
地獄を避ける為に、いとわず何をすべきなのでしょうか?
愛であられる神が、どうして人を地獄に送ることができるのでしょうか?
地獄を信じないとしたらどうなりますか?
偽りを言う者は、火の池に投げ込まれると言うことを忘れてはいけません。(黙示録21章8節)神のおきては、正義を求め、神に対して罪を犯す者には、その罰として死と地獄が待っています。生きたいのであれば、注意して耳を傾けてください。 — 地獄
正義と慈しみが上手く折り合う方法を神ご自身が用意してくださいました。私たちはおきてを破りましたが、神が人となり、私たちの罪を償ってくださいました。イエスは苦しまれ、罪への罰を受けてくださいました。神は私たちを赦され、永遠のいのちという賜物を私たちにくださったのです。 — 苦しんだ
それでも、十戒を(これから先)守ることができると考えているかもしれませんが、今までまともに生きてきた私たちが、嘘をついたり、盗んだり、憎しみを抱いたり、情欲を抱いたり、また神のことを何よりもまず一番に愛することもできず、あなたの隣人をあなた自身のように愛することもできなかったことは事実ではありませんか?
従って、神に対して既に罪を犯した私たちが、どのようにして「潔い」人生を送ることができるのでしょうか?
このことを次のように考えてみてください。…
自分の目を一億円の為に売りますか?両方の目で50億円ではどうでしょう?勿論、あなたはそんなことはしないと思います。あなたの目は値段など付けられるものではありません。それにも拘らず、目は魂の窓でしかありません。では、人の魂はどのくらいの価値があるのでしょうか?
これらのことを考慮に入れて、永遠のいのちの適正な価格はどのくらいになるでしょうか?値段などのつけられるはずがありません。それにもかかわらず、自分の徳でもって、天国に入れると信じるのであれば、「良いことをしてきた自分は、天国に入って当然だ。自分には天国に入るだけの理由がある。」と神に主張しているようなものです。

あなたが買ったばかりの(それも大変高級な)車を私に贈りたいと思っていることを想像してみてください。それにもかかわらず、「そんなものは受け取れない!そんな贈り物をもらったら恥ずかしい...そら、ここに十円がある。受け取ってくれ。」そんな哀れな代償にあなたはとても馬鹿にされたように感じるに違いありません。その上、もし、代償を払ったのなら、それはもはや贈り物ではなく、購入品になってしまいます。つまり、当然、それは私のもとなります。
良い行ないや十戒を守ることなどで天国に入ることができる話しならば、私たちは、「個人の高潔」という名の10円を神にポイと投げているようなものです。神の犠牲行為から見て、これは甚だしい神への侮辱行為です。私たちにできるたった一つのことは、自分をへりくだり、罪を改め、イエス・キリストおひとりを信じることによって賜物を受け取ることです。 — イエス・キリスト
十字架の上でイエス・キリストがあなたの為に苦しまれた時に、全能の神がどれだけ私たちを愛されているかをはっきりと示してくださいました。自分の徳を信じることを望むのであれば、それは、神の苦しみもだえた死は無駄であったと、あなたは言っていることになります。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」と、聖書に記されています。あなたは、贈り物を働いて手に入れることはできないのです。 — 信仰
イエスが、「わたしを信じなさい」と言われたとき、神に信仰を持つべきであると言われたのです。飛行機から飛び降りる時のパラシュートと同じです。単に、パラシュートが自分のいのちを救ってくれると信じるのではなく、パラシュートを実際に自分の身に付けるのです。 —イエス
イエスを身につけないまま、飛び降りないでください。罪の中で死んでしまったら、もう第二のチャンスはありません。神はあなたを公正に取り扱われます。そして、最後には永遠の地獄に至るのです。創造主との間にあるあなた問題を思えば、手元の問題など取るに足らない程些細なものになります。神の怒りがあなたの上にとどまるのです。(ヨハネ3章36節)
神は、あなたが地獄に行くことを望んではおられません。あなたも行きたくはない所です。だから、今、神に自分の罪の告白をし、あなたを救ってくださるイエスを信じてください。そうすれば、あなたは死からいのちへと手渡されるのです。 —地獄
さらにまた、毎日聖書を読み、そのみことばに従ってください。(ヨハネ14章21節参照)神への従順は、あなたが神を愛していることの証拠です。神に信仰を持ってください。神は、決してあなたを失望させたりはなさいません。 — 聖書
こんな感じのことを神に話してみてください:
「神様、今日、私は全ての罪(はっきりと罪を名で挙げてください)に背を向けます。この日に、私はイエス・キリストをわが主、わが救い主と信じます。私を救ってくださる方は主以外にはおられません。『主が道であり、真理であり、いのち』です。私をお赦しください。私の心を変えてください。そして、永遠のいのちの賜物をお与えください。イエスの御名においてお祈り致します。アーメン」
著者:レイ・コンフォート。2003年著作権。リビング・ウォーター出版。このページの聖句は、リビング・ウォータ出版による パンフレットから入手できます。
